9/30/2010

渡りの季節


2010924

暗いうちに実家を出て入り組んだ海岸線を縫うように走る。

ニュースを伝えていたはずの車のラジオがいつの間にか韓国語に変わっていた。

ここは、東シナ海を遥かに望む五島列島の最西端に位置する大瀬崎灯台、遠い昔に遣唐使船を見守り、日露戦争では日本海海戦の第一報を受信した場所。最近では話題の映画『悪人』のロケ地にもなったと聞いている。

日本の西の端は与那国島、南は沖ノ鳥島、北は択捉島、東は南鳥島であるが、この風景を眼前にするとまぎれもなくこの場所も日本の端っこであると実感する。

私がふるさとのこの島を巣立ってからいつの間にか30年が過ぎた。今では日常を送っている東京の暮らしの方が長くなった。

その時間の溝を埋めるかのごとく、私は最近、山に登るようになった。いわゆるソロハイカーである。

自分の鼓動を聞きながらひたすら一人で森の中を歩くことは、自然の中で育った私にとってココロとカラダがひとつになる貴重な時間である。

あれは昨年の104日のこと。

いつものように箱根の矢倉岳に登った私は思いがけない人だかりに驚いた。山頂に集まっている人々はあきらかに山ヤ(登山愛好者)ではない。

双眼鏡を覗き込み、空を見上げては口々に歓声をあげているのだ。

眼下の霧の中から突然沸き上がるようにあらわれた鳥たちが私たちの頭上を超えて次から次へと富士山をめざして飛び去って行く。

この光景を目にする為に彼らは山を登ってきていたのだ。

私は帰宅して早々にこの現象について調べてみた。見つけたものは、『渡り』という言葉だった。矢倉岳で目撃した『渡り』は、日本で夏を過ごしたサシバ(タカの一種)が東南アジアへと旅立つ瞬間だったのだ。

さらに調べていくととても興味深く感動さえ覚える記録に出会った。この時期、日本各地に散らばっていた鷹類は高い山にぶつかる上昇気流を利用しながら山から山へと帆翔と滑空を繰り返し日本列島を南下してゆく。やがてその数は数万に達し、その一団は鹿児島の佐多岬から島伝いに南下を続ける。そしてもう一団のハチクマは五島列島のこの断崖を最後に、大陸をめざして休むことなく飛び続けることになる。

私も毎年この季節に帰郷したくなるのは何かの偶然だろうかと思いつつ鳥達を見送りに行きたくなった。たどり着いた果てしなく碧い風景をまえに、ココロは鳥達とともに風に乗って空へと吸い込まれてゆきそうだ。私のふるさとは日本の端っこ、ハチクマが海を渡る島だった。

1 件のコメント:

  1. 雄大な景色、風さえ頬に感じそうな、すばらしい文章ですね!

    休みのない旅に飛び立つ鳥の後ろ姿に、勇気をあたえられます。
    自然ってなんて強くて美しい。

    読ませてくださって、ありがとうございました。
    すっかりファンですw

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